東山さんと田中麗奈さん共演の映画「山桜」切ない恋を二人がしていくという作品で、この結ばれない恋を美男、美女が繰り広げる恋愛模様、結構気になります。
5月に封切られる映画「山桜」=藤沢周平原作、篠原哲雄監督(46)=を試写会でみた。時は江戸後期。ところは北の小国、海坂(うなさか)藩。まじめな独り者の藩士(東山紀之)と他家に嫁いだ武家娘(田中麗奈)の切ない恋を描いた藤沢文学独特のしっとりとした短編が見事に映像化されていた。
海坂藩は架空の藩だが、イメージとしては作者が生まれ育った庄内藩(山形県鶴岡市)と重なり合う。「山桜」も四季折々の風景は庄内平野で撮影されている。この映画の重要なモチーフとなる山桜の巨樹も地元のもの。
凛(りん)とした独身の男と、彼が思いを寄せていた清楚(せいそ)な人妻(彼女は夫婦関係を拒絶している)の一幅(いっぷく)の絵のような桜の下の出会い。「敷島(しきしま)の大和(やまと)心(ごころ)を人(ひと)問(と)わば朝日に匂(にお)う山桜かな」という本居宣長(もとおり・のりなが)の有名な歌を思いださせる場面だ。
■桜の「木」への冷淡さ
撮影スタッフにこの山桜を教えてくれたのは鶴岡市羽黒町の人々であった。ほかにも候補として何カ所か推薦された中から昨年1月、篠原監督が1本を選んだという。
花の咲いていない冬の季節。地元に満開のときに撮った写真があったわけでもない。それにもかかわらず丸裸の木をみただけで決めたという話に興味を持った。これはたやすいように思えるが、なかなか勇気のいる決断といえよう。
かねがね開花前の桜に対する日本人の冷淡さが気になっていた。日本人は桜に対して大げさなくらい感情を高ぶらせるけれど、それは桜が咲いている間のせいぜい10日足らずの間に過ぎない。桜の木の下なら死んでも本望(ほんもう)だとか、ああ今年も生きながらえて桜がみられたと感傷にどっぷり浸るのだが、散ってしまうと途端に熱病も冷めてしまう。
風流を解する人でも、桜の木を愛(め)でるのは葉桜くらいまで。極端にいえば、春の季節以外、多くの日本人は振り向きもしない。それどころか葉っぱの生い茂った桜並木は害虫が発生して困ると苦情が絶えないという。実際、街路や公園など至るところに桜は多すぎるくらい植えられているのだ。このように桜に対する日本人の感情はいささか複雑で、これはわが国の国民性の一面を表しているのかもしれない。
■秘めたエネルギー
果たして開花しなければ桜の魅力はないのだろうか。そんなことはあるまい。桜の花の芽は、前の年の夏ごろにできる。この花芽はまるでクマが冬眠するように長い眠りにつく。年が明け、気温が上昇してくると花芽はやがて目を覚ます。
そのうちに休眠を打破してつぼみとなるが、この「休眠打破」直前の、真っ黒な桜の木も嫌いではない。ぶこつな皮の下では、可憐(かれん)なつぼみがじっと出番をうかがっている。内に秘めた開花前のエネルギーのうごめきといったものを想像して歩いていると、3月中旬の閑散とした桜並木でも、それなりに風情が感じられる。
むろん開花ともなれば、もう何もいうことはない。そして満開。「桜よ、今年もありがとう」と、夜風の冷たさも忘れて毎度ながら酒盛りに浮かれてしまうのである。(編集委員)
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